村の中を歩きながら農作物や栽培方法について説明を受ける
2/15~3/8の日程で開催した今回のワークキャンプでは、これまでになかったプログラムを幾つか取り入れた。その一つが『農村生活をもっと知るツアー』と銘打って実施した、キリマンジャロ山麓Materuni村でのビレッジトレッキングである。
ワークキャンプでは同じキリマンジャロ山麓にあるテマ村に滞在するが、拠点滞在型のワークキャンプでは、他の地域や村の様子に触れる機会が案外限られる。今回Materuni村を訪ねたのは、こうしたワークキャンプの特性から、より広く村や人々の生活の様子を知ってもらい、現地への理解をさらに深めてもらうという狙いももちろんあった。
しかしそれとは異なる理由もあった。最近タンザニアでも、徐々にエコツアーのようなものが浸透し始めている。今回訪れたMateruni村は、実はこうしたツアーを受け入れている村の一つなのだ。すでに幾つかの地元の旅行会社が、“エコツアー”“デイトリップ”等々呼称は様々であるが、Materuni村へのツアーを組みはじめていた。今回はその実態を知るという意味合いもあった。
旅行者のツアー代金には、受け入れ先の村(今回ならMateruni村)、或いは村で様々な活動に取り組んでいるグループなどに対する受入れ協力費、活動支援金が含まれており、ツアーの開催が、同時にそれを受け入れる村やグループの諸活動や発展を後押しするような仕組みになっている。
ワークキャンプで開催した『農村生活をもっと知るツアー』では事前にプログラム調整を行ったが、その内容は、衣・食・住をテーマに取り上げ、それぞれを切り口として村(人)の伝統や歴史・自然(観)、生活史の変遷を学ぶ/伝統舞踏の観賞/村の自然を訪ねる、の大きく3つに分けて行った。
キリマンジャロ山麓に住むチャガ民族の自然観などは、以外と日本の私たちに通ずるものもあり、参加者それぞれに学べるところも多かったと思う。
チャガ民族の伝統家屋(屋根はトタンに変わっている)を見学
一方、新たなツーリズムとしての視点から見ると、考えさせられることもあった。先にも触れたように、ツアーでは村やグループへの協力費、支援金が参加費の中から支払われる。とくに今回グループへの支払いは、私たちの目の前で金額を明らかにした上で、現金で当人たちに手渡された。それはそれでツアーを通して幾ばくかの資金が確実に還元されていることを効果的に示す意味はあるだろう。しかしそれが受け入れに要した実費であるのか、それを上回るものであるのかは分からない。仮に上回るものだとしても、それを手にした人々(=村も含め)が、そのお金をどのように使うのかも不明である。お金を手にした者が内部分配していることも考えられる(村の場合を除き、一概にそれが悪いこととは言えない)。
村やグループに幾ばくかのお金が落ちるとはいえ、それが受け入れへの“対価”程度の位置づけで支払われているなら、普通の観光、“ビジネス”とさほど変わらないように思える。受け入れ先の選定も含め、新たなツーリズムの提案としてツアーの実施にはそれなりの理念や根拠があるはずで、たんに金銭の受け渡しやその額に集約されてしまうものではないだろう。その部分が欠けていたかなという心証が残った。
また受入側の主体が実行者に対して弱体である場合、クライアント-パトロンの関係に押しやられてしまう可能性も懸念される。この場合、村やグループが旅行会社のたんなる下請けとなってしまうのをどう避けるか、区別していくのかも気になるところである。
ほかにも、コミュニティの外部から継続的、集中的に多くの人間や情報が入り込むことによる影響をどう考慮するかも問題である。私が知っている他の村では、一時キリマンジャロ山の下山ルートに指定されたことから外国人がどっと押し寄せ、その結果子供たちが学校に行かなくなって小遣い稼ぎに走り出したり、村人たちは軒を並べて観光客相手の露天売り商売に精を出し始め、それはよいが、そこで昼間から酒浸りの様子が見て取れた。挙げ句の果てにはドラッグや売春まで始まり、村や村人がすさんで行く様を見ていて辛かった。それでも村に金は落ちていたのだから、人々の生活は“向上”したのかも知れない。それで良しなのか?
私自身、いろいろなことを学べた今回の『農村生活をもっと知るツアー』であった。