伝統水路最新調査報告

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キリマンジャロ山に暮らすチャガ民族は、彼らの優れた伝統農法である”Kihamba”とともに、そのKihambaへの灌漑や生活水確保のため、山腹に縦横無尽に張り巡らせた水利システム”Mfongo”を発達させてきたことで知られています。

 

とくに当会の主活動地であるテマ村を含むムボコム地域は、このMfongo建設において優れた技術を保持していたことが明らかとなっています。かつてチャガ民族は、キリマンジャロ山のそれぞれの尾根を基礎的勢力範囲とする、父系クランに基づく自律的氏族集団社会を形成しており、各集団は封建的権力(土地分配権、調整権、労働者や兵士の徴集権等)を持つ世襲制の首長”マンギ”によって統治されていました。チャガ民族の伝統水路Mfongoは、こうした各尾根をベースに発達を遂げていったのですが、ムボコム地域では1800年代後半にマンギであったMlatieが、水路建設技術において伝説的英雄であったようです。

 

彼はその技術故にしばしばムボコム地域を留守にし、他地域での水路建設にもあたっていたようですが、当時キリマンジャロ山の尾根では地域同士での争いが絶えず、ムボコム地域は何度か蹂躙された歴史を持っていることから、Mlatieが善意で出掛けていったというよりは、捕虜として連れて行かれた可能性もあります。

 

いずれにしろ、こうした逸話からも、ムボコム地域が優れた水路建設技術を持っていたことを窺い知ることが出来ます。

 

さて、そんな水路建設の技術を誇ったムボコム地域にあるテマ村で、タンザニア・ポレポレクラブはGPSを使った水路の踏査調査を継続的に実施しています。これまでに村にある主要な5本の水路(マチャ、マエダ、ムボヤ、ムレマ、キセレチャ(※))と、隣村の水路1本(キディア)を調査していますが、最新の調査では隣村にあるムヲ(※)、ムリンゲニの2本の水路を調査してきました。

(※)現在キセレチャ、ムヲはいずれも放棄水路。

 

ムリンゲニ水路は、ポレポレクラブが復旧支援をしている伝統溜池(Nduwa)を水源とする水路として調査したものですが、もう1本のムヲ水路は、かつてテマ村にある水路としては、もっとも高度で複雑な技術を駆使して作られていたキセレチャ水路(参考情報はこちら)に連結させていた水路として、以前から調査したかった水路でした(写真1)。 ただし現在では両水路とも放棄されてしまっています。

水路の流域図

 

岩盤を削って作った水路 

 

キセレチャ水路もどうやってこんな水路を建設したのかと驚くばかりですが、ムヲ水路もそれに勝るとも劣らない複雑な流路、造りをしており、チャガ民族の先人たちの知恵には舌を巻くばかりです。たとえば、背丈を超すほどの岩盤を通路のように削って水を通していたり(写真2)、いくつもの尾根が複雑に入り組み、自分の位置さえまったく分からない鬱蒼とした森の中を、このムヲ水路は水源から村まで延々8kmも水を引いてきていたのです。測量機器などなかった時代の人たちが、「あそこからこう通せば村まで水が来る」とどのようにして知ることが出来たのか、不思議でなりません(チャガ民族の言い伝えでは、祖先に遣わされたアリが、行列を作って水路を引く経路を教えてくれたとか)。

 

写真1にキセレチャ水路とムヲ水路が示されていますが、この写真にある黄色の線が、かつて2つの水路を結びつけていた水路です。キセレチャ水路はいくつかの支流に分流させることで、広いテマ村の西側半分にある主要な尾根をほとんどカバーしていました。その一方で、十分な水量を確保することに苦労しており、元々の水源であるムルスンガ川以外にも、さらに別に補助水路を引いてくることで水量の増大を図っていました。そしてこのムヲ水路は、それとはさらに異なる水源から水を引いてきて、キセレチャ水路に合流させていたものなのです。

 

冒頭部分で述べたように、かつてチャガ民族は、尾根を一つの単位として氏族的集団社会を形成しており、水路も特定の氏族の所有であることが普通です。従って水路名にもその氏族の名が付いていることがあります。ところが複数の尾根をカバーするキセレチャ及びその水源の一つであるムヲ水路には、支流を含め、氏族名を冠した水路がありません。普通なら貴重な水を巡って、氏族間で水争いが起きても不思議ではないのですが、この水路からは、各尾根に暮らす氏族がみんなで仲良く水を分け合っていた姿が浮かび上がってきます。それは、これだけの水路を建設するには、多くの氏族が力を結集しなければならなかったということを物語っているのかも知れません。

 

このように歴史的にも、構造的にも、氏族間における位置づけやその果たしてきた役割からいっても、両水路のムボコム地域における存在は大きかったといえるでしょう。

 

いまでも村の長老たちに「皆さんの森の自慢は何ですか?」と聞くと、間髪を入れずに「Mfereji(伝統水路)」、「Nduwa(伝統溜池)」、「Kihamba(伝統農法)」という返事が返ってきます。それほど彼らにとって、この3つは森とは切っても切れない存在として認識されています。その一方で、多くの若者たちは、伝統水路を「古いもの」「面倒くさいもの」(=泥さらいなどのメンテナンスが必要)として顧みようとはしなくなっています。

 

私たちはこれまで、森と生活の場を直接結びつける存在として、この伝統水路に着目してきましたが、中でもこの2つの水路は、ムボコム地域に根付いていた優れた水路建設技術を今に伝える貴重な存在として、地域の誇りともなるものだと考えています。

 

多くの村人たち、とくに若者たちが、キセレチャ水路やムヲ水路を通して地域に誇りや自慢を見いだしてくれることは、とりもなおさずそれらを支えてきた森への思いや愛着を、一層深めてくれるものになるだろうと考えています。当会ではそうした視点に立って、伝統水路の調査に継続的に取り組んできており、調査によって蓄積されたデータや情報を如何に次世代に伝え、引き継いでいくことができるかは、重要な課題だといえます。

 

その一方で、そうしたものを私たちが伝えることには、もちろん限界があります。村の大人たち、そして若者たちが、「失ってはならない自分たちの誇り」という”心”と”思い”を共有してこそ、はじめて何かが人々の「心」と「思い」の中に脈々と受け継がれていくものだと思うからです。

 

たんに調査を実施するだけでなく、そこで得られたものを如何に大人と若者の意識の共有をはかるために役立てていくことが出来るかに、心をくだいていかなければならないでしょう。

 

 

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