村の女の子による幼稚園プロジェクト

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前回は現地カウンターパートのテアカが、ポーランドのNGOと開始した代替燃料プロジェクトの様子をお伝えしましたが、今回は私たちが長く活動しているキリマンジャロ山の南東山麓標高1,500mほどのところにあるテマ村の女の子たちが始めた幼稚園プロジェクトについて紹介したいと思います。

タンザニアの教育制度は、2年間の就学前教育(5 ~ 6 歳)、7年間の初等教育(小学校、7 ~ 13 歳)、4年間の前期中等教育(Oレベル、中学校に相当、14 ~ 17 歳)、2年間の後期中等教育(Aレベル、高校に相当、18 ~ 19 歳)、3年間以上の高等教育(大学に相当)となっており、このうち初等教育の小学校だけが義務教育です。

就学前教育については環境も整備されておらず、2000年より以前は一部の教会などが細々と受け入れていた程度だったように記憶しています。最近多少は良くなったようにも見えますが、専門教育を受けた教師はまだほとんどおらず(おそらく3%くらい)、無資格教師が教えているのが現状のようです。政府は就学前教育1年間を義務教育化しようとしているようですが、このような現状ではそれもいつのことになるやらと思えます。

 

ただ、生活を維持していくためには女性も一家を支える重要な働き手であり、育児に専念することなどとても出来ません。掃除、炊事、洗濯は女性の役割となっていますが、それに加えて終日農作業、家畜の世話、薪集め、青空市場での収穫物販売などに追われ、とにかく一日中働きづめです。そうなると幼児を家に残しておかなければならないことも当然あり、小さな子どもたちが親代わりに面倒を見ていることが当たり前のようにあります。

しかし実際居合わせたことがあるのですが、転んだり、熾火の残ったカマドに手を入れてしまったりと、小さな子ども達だけでは対処できないような大けがや火傷を幼児が負ってしまうこともあり、やはり親が安心していられる環境とは言えません。

そうした中で、テマ村に暮らしているアナシアを含む5人の女性(全員20代)が集まってグループを作り、山の麓にある青空市場の近くで幼稚園を立ち上げました。アナシアは中学校を卒業した時点で、将来幼稚園を立ち上げることを考えていたのでしょう。人より多くの年数をかけ本当に苦労して中学校を卒業した後、専門学校に通って教師の資格を取り、その後1年間教会が運営する幼稚園でボランティアで教師を務め、ついに自分で幼稚園を立ち上げました。

 

写真右側がアナシア。村の女の子がもう一人、幼稚園を手伝ってくれています。

もちろん彼女の力だけで幼稚園など始められるはずもなく、そこで彼女を助けようと結成されたのが先のグループです。みんなで少しずつお金を出し合い、彼女たちのプロジェクトとして実施していくことにしました。もともと人一倍の働き者で器量も良いアナシアは、若いのに村の中でも信望が厚く、市場近くの教会の牧師さんも幼稚園用に土地を無償で使って良いと許してくれました。こうして彼女たちの幼稚園プロジェクトは、教会の敷地に掘っ立て小屋のような幼稚園を建てることから始められました。

ただ、先も触れたように、村の女性たちは青空市場で小商いするときなど、家にまだ小さな子どもを残してこなければならないことが間々あります。市場近くで幼稚園を始めることにしたのはそうした村の女性のニーズを考えてのことで、しっかりマーケティングもできていることに感心しました。「ここなら家を出るときに一緒に子どもを連れてきて、夕方帰るときに連れて帰れるし、何かあってもすぐ近くにいるから村に幼稚園があるよりお母さんたちもずっと安心できるのよ」とはアナシアの弁

幼稚園は朝7時45分から始まり、夕方5時まで。その間に勉強(読み書き、計算、歌、お絵かき)や礼儀・しつけの時間、ちょっとした科学の勉強や宗教の時間まであるのには驚いてしまいました。それにお昼(ウジと呼ばれる、モロコシの粉をお湯で溶いたお粥)の時間とお昼寝の時間があります。かなりしっかりしたプログラムだなと感じます。

 

教室の裏で昼食のウジを調理中のアナシア

現在2歳から5歳まで18人の子どもを預かっていますが、幼稚園を経済的に維持していくためには25人程度は必要だと言っていました。ただ、今は幼稚園の存在を知ってもらうことの方が大切なので、入園料を普通の半分ほどにしてアピールし、その代わりにお給料を我慢して運営しています。

友達と力を合わせたプロジェクトではありますが、これは一人の女性の立派な自活、自立のプロジェクトなのだと思います。まだ幼さの残る彼女の顔に、一人の起業家としてのもう一つの顔を重ねて見ていました。 

 

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