事務局日誌: キリマンジャロ山いま、むかし。そして未来へ

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「Kilimanjaro and its people」の口絵で使われているキリマンジャロ山の写真

「Kilimanjaro and its people」の口絵で使われているキリマンジャロ山の写真

 

事務局ではいま、キリマンジャロ山に暮らすチャガ民族について書かれた著作「Kilimanjaro and its people」の翻訳作業に取り組んでいます。この本は、1920年代にキリマンジャロ山を含む北部州のモシ県長官であり、現地住民に対する理解と、チャガ民族の社会、伝統、文化を深い洞察力を持って観察したことで知られるチャールズ・ダンダス(Charles Dundas)によって記されたものです。

この本の冒頭部分には、裾野から山頂に至るまでの、キリマンジャロ山の素晴らしい自然とその姿が詳述されています。その中にはもちろん、いまから約百年を遡る当時の山の森に暮らしていた動物たちのことも記されています。たとえばその一節に、こんなものがあります。

「ゾウの足跡が頻繁に見られ、また彼らがごく最近までそこに居た痕跡を目にすることから、ここが森の偉大な住人の棲息地であることが分かる。彼らの餌場でもあるその密林にあって、しかし、そこに彼らの足跡によってよく踏みならされた道がはっきりと見通せ、それはまさに森のハイウェイといえるだろう。垂れ下がった枝の下側は彼らの巨体によって滑らかに磨り切れ、私たちが彼らの通り道にいることを教えてくれる。そこかしこで巨大な足跡は、何百フィートもの絶壁となって岩だらけの川床に落ち込みんでいる渓谷の脇へと消えている。疑問に思えるのは、これほども重量のある動物がどうやってそこを登ることが出来たのかということだが、注意深く観察すれば、小道のそばにとあるゾウが転落しないよう支えるために牙を土に突き当てて出来た深い穴や、登る際に巨大な体を引っ張り上げるために樹皮を掴んだことから、木の幹が滑らかになっているのを見るだろう。」

キリマンジャロ東南山麓、標高約1,700mにあるテマ村に私たちが入り始めてもう20年になりますが、村の上部の森に分け入っても、もうそのゾウたちを見ることは出来ません。上のような文章を通して、森のかつての様子を想像してみるしかありません。ただ村のお年寄りたちに聞いてみると、「ほら、あの木の樹皮のないところ、あれはゾウが食べた跡だよ」とか、「ゾウが家を潰すんで、掘った塹壕さ」と言って見せてくれたり、ゾウ用の落とし穴の跡なんてものまで、森や村の中にはいまでもそうしたものが点々と残っています。そうしてみると、森を前にして、先の文章に書かれていたようなことが、けっしておとぎ話などではない、にわかに現実感を持ったものとして迫ってきます。「ここにたくさんのゾウたちがいたんだ」と。

タンザニア・ポレポレクラブは「昔のような森を取り戻そう」と立ち上がったテマ村の村人たちと、これまで共に植林に取り組んできました。森が戻れば昔のようにゾウたちが戻ってくるのか?といえば、それは正直難しそうなのですが(キリマンジャロ山をぐるりと取り囲んでいた野生動物たちが行き来していた原生林の回廊はあちこちで分断されてしまい、また低地平原も、人為的な改変で大型動物は締め出されてしまった)、村人たちが取り戻そうと目指しているのは、ゾウも棲めるような、そしてそこに暮らす人々にも豊かな恵みと安定をもたらしてくれる、そんな森でしょう。

村人たちに言わせると、それでも小型のアンテロープ類は森に戻ってきていて、中には「ヒョウ」を見たなんて人まで出てきています。

いまから百年の後、キリマンジャロ山の森を歩く作家は、その森をどう描くでしょうか。人も動物も奥深く、豊かに包み込み、思わずペンを走らせ描画してしまいたくなるような、そんな森であってくれたらと夢見ています。

もちろん夢が夢で終わってしまわぬよう、これからも村人たちと共に、木を植え続けていくつもりです。

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