事務局日誌: 村にとって大切なもの

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「自分の住んでいる町や地域にとって大切なものは何ですか?」と聞かれたら、みなさんなら何と答えるでしょうか?

普段身近にありすぎて、案外そうしたことを意識せずに過ごしていることが多いのではないでしょうか?あるいは、「あれだよ、あれ!」と即座に答えられるほど、強烈な何かがあるかも知れません。その地域に根ざす昔ながらのお祭りや神社仏閣、産業や特産品などは、そうしたものの代表格でしょう。

では、キリマンジャロ山(ここでは私たちの活動地であるテマ村)に暮らす村人たちに、「あなたにとって村の大切なもの(こと)は何ですか?」と聞いたら、一体どんな答えが返ってくるでしょう?

その質問に対する答えが、表1になります。やはり村人たちも、いきなり面と向かって「大切なものは?」などと聞かれると、「う~ん」、「はてさて」と唸っていましたが、出てきた答えをまとめてみると、かなり顕著な傾向があるといえそうです。

 

 

それは、彼らが自分たちの生活を支えている農業や作物を重要視しつつ、さらにそれらを支えるより広範なシステム、”背景にあるもの”を、相当に意識し、「大切なものだ」と考えているということです。すなわちそれは雨や水をもたらす”森”であり、その森と畑をつなぐ”伝統水路”や”伝統溜池”ということになります。回答数だけ見ると、これらのものはむしろ農業や作物よりも重視されているということになります。

これは、農業において稲作を、食において米を礎とするわたしたち日本人にたとえれば、水田であるより先ず何よりも、そこに豊かで養分に富んだ水をもたらす(里)山や森を「大切だ」と言っていることに等しいといえます。

もちろん、確認した村人の数も限られ、この意見が村人全体の認識を反映しているというには早計であるし、彼らが森の重要性を強く意識し、長くその回復に努力を傾けてきたのは事実としても、一方で伝統水路や溜池は、やむにやまれぬ事情はあるにしろ、放棄が進んでいるという、彼らの認識と実際に起きている現実とのギャップもあります。

“食べられること”は、人が”生きていく”うえで基本中の基本です。いくら経済が発展しても、食べられなければ何の意味もありません。折しも昨年末には首座都市ダルエスサラームを中心として記録的な大豪雨となり、家屋が流され死者まで出ました。昨年のタイでの大洪水、今年に入ってもすでにブラジルの豪雨などが伝えられ、異常気象は今や”日常事”となっています。気候や気象の不安定化はキリマンジャロ山とて例外ではなく、降雨の減少傾向には歯止めが掛かっていません。

食を考える上で、たんに生産技術や投入資材等のミクロな視点からその生産性の向上だけを考えるのではなく、その生産を支えている基盤や背景をも含み合わせて考え、守り、強化していくことは、こうした日常化した異常事態の進行を防ぎ、持続的で安定した生産を支えていく上でも重要であることは、論を待たないでしょう。

その点、目の前の畑だけを見ていない村人たちの視点や認識は、まさにこうした「大切なもの」を、しっかり見極めていると言えそうです。

あとはもう少し、彼らが「う~ん」と唸らずに、これらのものが頭の中でクリアに繋がり、イメージできるような、そんな工夫が出来ないか、彼らと知恵を絞ってみたいと思っています。

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