“Mfoo”とは、キリマンジャロ山に暮らすチャガ民族の言葉(チャガ語)で、「塹壕」のことを指しています。かつて彼らが山麓低地の平原で遊牧生活を営んでいるマサイ民族や、同じチャガ民族の氏族同士で争ったときに、女性や子ども、そして飼っている牛やヤギなどの家畜を見つからないように逃がすために掘っていました。
村から森に入っていくと、いまでもこのMfooの跡が随所に見られます。かつてそれほど争いが激しかったことの裏返しとも言えそうです(こうした争いは、20世紀前半頃まで繰り返されていたようです)。
このMfooがいつ頃から掘られ始めたのか定かではないのですが、現在チャガと呼ばれている人々が、主にケニア方面からキリマンジャロ山に移動してきたのが500年ほど前と言われていますので(到来の時期については諸説あり)、古くは数百年前から掘られていたのかも知れません。
村の古老に尋ねると、かつては深さが5m~10mあるものもあったというのですが、いまは他民族や氏族同士で槍を持って争うこともなく、Mfooはその役割を終え、埋もれるに任されている状況です。村の若い世代の人たちには、それが何であったのか知らない人も多くなっています。
しかしいまでもMfooは、山の斜面に延びるV字状のへこみとなって残っています。一部の村人は「ケニアの方まで続いている」と言うのですが、これまで実際に確かめたことはありませんでした。
今回、村の青年ジョン君をつかまえて、初めてそのうちの一つを探検してみました。「探検」と書いたのは、Mfooのかなりの部分が今では灌木で覆われてしまっており、現地で”パンガ”と呼ばれるナタでそれらを切り払い、一部は四つん這いのほふく前進になりながらの行軍となるからです。
埋もれつつあるムフォーを前進中!
当初Mfooは比較的まっすぐに延びているのかと思っていたのですが、少なくとも森の中では、かなりグニャグニャと曲がりくねっていることが分かりました。そして途中で別の方向から延びてきたMfooと交差点のように合流したり、あるいは分かれたりと、どれが自分たちが進んできた「本線」なのか、すぐに分からなくなってしまいました。つまり、よそ者には迷路そのものなのです。
結局私たちが辿ったMfooは、沢が流れている場所に出てそこが終着点でした。その場所はU字型に曲がった沢に沿って、岸が低い崖状に周り囲んでおり、他の場所からは明らかに発見しにくいなと思える場所でした。
ジョン君とその場所で一休みしていると、U字型に曲がった沢の一番奥側の岸が祠のように凹んでいて、そこに大きな岩があるのに気づきました。以前、村の伝統水路の調査で、やはり水源を求めて山奥まで入っていったとき、そこにも巨大な岩があり、不思議な線上の模様が刻まれていたことを思い出しました。そこで、もしやと思って岩を覆っていた苔をどけてみると・・・やはりあったのです!不思議な刻み模様が。
以前水路を辿ったときに、森をよく知る老人に尋ねたところ、「模様のことは以前から知っておったよ。ただそれが何を意味するのか、わしにも良く分からん。水路の経路か何かを表したものだと思っておるが」と言っていた。
ジョン君は発見にいささか興奮気味で、ガリガリと一生懸命苔を削り落としている。「ペンキを持ってきて線に色を付ければ分かりやすくなるぞ!」と言ったので、やめるよう諭す。苔の下から現れたのは、まるで迷路のように入り組んだ複数の線であった。
それはMfooの地図なのだろうか?昔マサイの人々と戦っていた頃、家族や家畜をどのMfooを使って逃すか、そんなことを村人たちはここで話し合っていたのだろうか?真実のほどは分からない。
昔のことを知っているお爺ちゃん、お婆ちゃんはまだまだいるので、これからも時間を見つけて、何かそうした言い伝えのようなものがあるか、尋ねてまわりたいと思っている。何か新たな発見があったら、もちろんまたこの場でご紹介したいと思います。 乞うご期待!