伝統水路復旧による成果が現れる

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キリマンジャロ山麓オールドモシ区キディア村(図1)で復旧に取り組んだ伝統水路による効果が、早くも現れている。キディア村では従来、村人が自分たちの家のそばに持っている自家菜園”Kihamba”で栽培している、キリマンジャロコーヒーへの灌漑のために伝統水路の水を使っていた。

 

図1 キディア村の位置

図1 キディア村の位置

 

しかし雨量の減少に引き続く水量の低下、給水パイプラインの敷設、さらにはコーヒー価格の低迷から多くの村人たちがコーヒー栽培を放棄し、伝統水路への依存度合いが減じていった。それとともに水路のメンテナンスもされなくなった。伝統水路はキリマンジャロ山の急な斜面を等高線に沿うように作られているが、森林を失った山の斜面では土砂崩れが頻発し、やがて水路のかなりの部分が埋もれ、ついには水路そのものが放棄されるに至った。

 

伝統水路を復旧させたキディア村尾根の一部

伝統水路を復旧させたキディア村尾根の一部

 

一方、キディア村と深い谷を挟んで対置するテマ村では、コーヒー栽培に見切りをつけた村人たちが、比較的早い時期から栽培作物の多様化を図り、コーヒー畑跡地等での野菜栽培への切り替えを行っていた。野菜栽培のためにはコーヒー栽培以上に頻度の高い灌水が要求され、従って伝統水路も一部には放棄されたものもあるが、今でも村人たちによってメンテナンスが継続されている。また水源保護のための植林にいち早く立ち上がっていたのも彼らである。

こうした結果、キディア村では調達野菜の多くを、テマ村に頼らざるを得なくなっていた。キディア村では週2回、青空マーケットが開かれるが、そこでの野菜販売は、まさにテマ村の女性たちの独占といって良い状態であった。

ところが伝統水路の復旧によって、キディア村での野菜栽培が可能となり、水路付近の村人たちが一斉に野菜栽培を始めたのである。テマ村から谷越えをして売られていた野菜は、1束の値段が200シリングであったが、それが今ではキディア村産の野菜で、1束50シリングで手に入るようになったのだ。キディア村の村人たちはもちろん喜んでいるが、逆にテマ村の村人たちは、良いマーケットを失うことにもなった。テマ村の村人から冗談で、「オマエ、ママたちからうらまれてるゾ~!(笑)」と言われてしまった。

ただこれで万事良しかといえば、残念ながらそうはならない。先にも触れたように、コンクリの三面張りではない伝統水路は、泥さらいは当然のことながら、崩れた場所の補修や水草の刈り払いなど、毎年数回のメンテナンスが必須とされる。伝統水路の「伝統」たる所以は、キリマンジャロ山麓に住むチャガ民族の中で、水路の所有、管理、運用から規範、タブーにいたるまで、彼らの社会文化的制度ともいえるほど強固な仕組みが、歴史的に確立されていたことにある。しかし上記のような諸々の要因による伝統水路離れは、彼ら民族の根幹をも成していた、こうした社会文化的仕組みを徐々に蝕み、弱体化させる結果となった。

私たちは伝統水路の復旧にあたって、利用者からなる管理グループの再構築を行っている。しかしそれが本当にかつてのように長く持続的なものとして機能してくれるか、それはまだ分からない。今後も継続的なモニタリングを続け、必要な工夫や改善を村人たちとともに行っていくつもりである。またそうしなければ、水路の復旧はたんに一時的なもので終わり、やがてはまた埋もれてしまうだけなのである。

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