上の2枚の写真は、私たちが植林活動に取り組んでいる、キリマンジャロ東南山麓キルア地区の様子を写したものだ。かつてあった森林はすっかり剥ぎ取られてしまい、いまではむき出しになった山肌が無惨な姿をさらしている(写真1)。しかしここでもようやく植えた苗木が育ちつつある。表土をほとんど失ってしまっているため生長がかなり抑圧されているが、やっと背丈を超えるところまで育ってくれた(写真2)。
ところがいま、こうした植林地にまで伐採の圧力がかかりつつある。背景にあるのは、世界を揺るがしている原油価格の高騰と、それに由来するありとあらゆる生活物資の値上がりである。
最近植林地に何者かが入り込み、育った木が伐採されてしまうケースが出始めている。木は切って売るだけで、手っ取り早い現金収入をもたらしてくれるからだ。ただ生えている木を切れば良いのだから元手もかからず、植林地などはそれこそ「宝の山」に見えるに違いない。
侵入者は村の外から夜陰に紛れてやって来る。そうして村人たちに見つからないように森に隠れ、数日間をかけて切り倒した木を板にまで引いてしまう。そしてまた夜陰に紛れて引いた板を持ち出すのだ。もちろん少ないとはいえ、村人の中にも木を切る者が出てきている。
こうした状況が木を植え続けてきた村人たちの間に、どうしようもない不満の渦となって広がりつつある。つまり「なぜ自然を守ろうと努力する者が馬鹿を見て、その結果を踏みにじる者が得をするのか。ならば自然を守る努力など無駄ではないか、やらない方がよい」というものだ。
これまで村人たちが、一生懸命植林によって守ってきた水源は森林保護区の中にあり、村人にも村にも、侵入者を取り締まる権限は与えられていない。それをすべき役人は賄賂をもらい、見て見ぬふりのお粗末さ。先の村人たちのような感情は、あまりに当然だと言える。
一気に押し寄せた生活苦は、村人たちの日常生活にとってもちろん破壊的であるが、世界中の森林にどれほどの伐採圧力となってのしかかっていることだろうか。植林地の木を切り倒すなどは、これまでに無かったことである。
村人たちが納得できる具体的な対策を講じられなければ、いまの状況は、長年の村人たちの植林への熱意を根本から打ち砕きかねないほど危険なものだ。