事務局日誌: 便利さのゆくえ

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ここしばらくの間メールを開ける時間がなく、今日久しぶりに開けてみて、その多さに一瞬めまいがした。一体本当にこんなに情報が必要なのだろうかとつくづく思う。便利になって忙しくなっていれば世話はない。

パソコンや携帯、世の中便利なものは随分増えた。その一方で、機械や情報に使われ振り回されることなく、賢く使いこなして利用してこそだとよく言われる。自らが機械に縛られ、もはや片時も手放すことが出来ないなどは、機械に使われ振り回されている類の典型だろう。

タンザニアに行っていると、実に不便なことが多い。命を繋ぐのに事欠くような不足であっては勿論ならないが、不便さ故に人は知恵を絞り、工夫をする。現地に行っていると、彼らの発想する力のしなやかなことに脱帽させられ、工夫して解決できる力量の違い、器の違いにへこまされることがしばしばある。生きていく力や生活力の違い、逞しさと映る。

それでも乗り越えられない不便さだから、お互いに助け合い、「協力」する。そうして自然に出来上がっていくのが社会だと思える。文字の上だけではない、人と人とが繋がった、実感できる社会である。

便利を不必要とは思わないし、タンザニアでも工夫もせずに諦めてしまっている人も多い。だからタンザニアやタンザニアの人々をただ賛美するつもりもない。

それでも私たちは今この便利な世の中だからこそ、求めて不便に価値を見出すことも必要なのではないかと思うのだ。「スローライフ」も良いが、「不便なライフ」がこれからの最先端ではなかろうかと。

携帯のように便利と思える良い世の中よりも、土や水や空気のように、ありがたいと思える不便な世の中が良さそうである。いまどき世間を騒がせているような事件もきっと減ることだろう。

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