事務局日誌:  いつか来た道、いつか来る道

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ポレポレクラブでは毎週金曜日にスワヒリ語講座を開催している。そのテキスト作りが結構頭痛の種である。今回の生徒さん、なかなか優秀で、こちらのテキスト作りが間に合わない! 嬉しいような辛いような・・・・。

さてそのスワヒリ語であるが、一つの単語が派生して、それに通ずる様々な意味になるという特徴がある。例えば動詞で“enda”は「行く」という意味だが、これが“endesha”になると「運転する」に、“endelea”なら「続ける」「進歩する」という意味になる。“endelea”を名詞化して“maendeleo”にすると「発展」である。

先日、現地カウンターパートのTEACAから最新の写真が送られてきた。その中に村に通じる道の拡幅工事の模様を伝える1枚があった。電気に続いて、道の整備は村の悲願ともいえるもの。これまでの道は、車1台がやっと通れるくらいの細い急峻な道で、しかも大雨が降れば車での通行はほとんど不可能となってしまう。

今回の拡幅工事は、ブルトーザーを投入し、山肌にへばりつくように広がっている村人の畑を削り、車2台がすれ違えるくらいまで道を広げるものだ。これでTEACAスタッフで名ドライバーのモシも、少しは安心にして車をendeshaできるようになるだろう。

確かに未整備な道が、これまで村にとって様々な機会の障害となってきた。村で多く産するパッションフルーツは、町からトラックでアクセスできれば、ジュースの原料としてビジネス(村の産業)となる可能性もある。そうした現実を前に、どうすることも出来ない村人たちの気持ちは、わたしにも察せられる。

道は確かに発展、“maendeleo”を連れてくるのかも知れない。しかし電気とて、村に本線が到達して数年、未だ各家庭への配電も出来ずにいる。道路といえば現地では、電気など比較にならないほどの大事業である。今回拡幅したとはいえ、村人の悲願である舗装化がされたわけではなく、雨が降ればドロドロ、通行不能にになるという状況が、それほど変わったわけではない。

道路が整備されることによる、村への社会的変化、影響も見逃せない。村を離れる者も今以上に増えるだろう。独居老人の問題は、今すでに起きている問題であり、村の発展どころか過疎化に拍車をかけてしまう可能性もある。加えて様々な町の物資、情報、そして人が流れ込むことによる、村の人間社会、伝統文化、価値観に及ぼす影響は、さらに計り知れないものがある。

村の将来は、そこに住み、暮らす村人たちが決めるものだ。そうした彼らと、村の発展のために力を合わせることが、私たちの役目かも知れない。しかし本当に大事なことは、発展を主体的に担っていける底力をつけていくことだろう。

どんなスピードであれ、村への変化は必ず訪れる。その変化の波をしっかり受け止め、村人たちが主体的に発展を担っていけるようになること。私たちはそうした活動の将来展望をしっかり意識し、活動の中に織り込んでいく必要があるだろう。

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