ママと娘。団らんのひととき。
植林ワークキャンプで実施していた村でのホームステイなどにあたって、よく参加者からこんな質問を受けた。「現地では食事の初めや終わりの時に、日本の”いただきます”や”ごちそうさま”にあたる言葉はあるのですか?」。
私たちの活動の主力地であるキリマンジャロ山は、ほとんどの住民がクリスチャンである。食事を初める時、あるいはちょっとした休憩時に飲むチャイ(ミルクティ)の時でさえ、神への祈りは欠かせない。
日本では生きとし生けるものの生命をいただくことへの感謝、ありがたさを言葉にするが、キリマンジャロ山の村人たちは、今日も食べられることへの感謝の言葉を神に捧げる。
さて、食事が終わった時はどうだろうか?日本なら「ごちそうさま」である。食事そのものへの感謝、そして栽培してくれた人、獲ってくれた人、作ってくれた人への感謝の言葉。一方、村人たちはというと、こんな言葉を口にする。たとえば父親なら「Asante mama」(母さん、ありがとう)。子どもなら「Asante baba, asante mama kwa chakula nimeshiba」(父さん、母さん、食事をありがとう、お腹が一杯になりました)。つまり母親に対して、そして子どもなら両親に対して感謝する。
ここでちょっと少し不思議に感ずることがある。現地では食事を子どもが作ることも少なくない。調理どころか、薪集め、薪割り、食事用の水くみ、食事を出すところから後片付けまで、すべて子どもがやることも珍しくない。長い時間をかけて、一所懸命に食事の準備をしている子どもたちの姿をよく目にする。
それでも食事を終えると、父親は言う。「母さん、ありがとう」。子どもたちは言うのだ。「父さん、母さん、食事をありがとう、お腹が一杯になりました」。
それが作ってくれた人への感謝だけでなく、父親は、家を守ってくれている母親への愛情と感謝の気持ちを込めた言葉として、そして子どもたちは、食事を食べられるのは親のおかげであり、自分を養ってくれている両親への感謝の言葉として言っているのだと気づく。
「いただきます」、「ごちそうさま」。これらの言葉の中に、日本人の細やかな自然観、素晴らしい感性を見る思いがする。そしてタンザニアの人々の言葉の中に、彼らに深く根ざす家族愛、感謝といたわりの心を見る思いがする。