先月の鳥に続き、今度はチョウのご紹介です。以前この欄で、おそらくエチオピア・ルリアゲハ(Papilio microps Storace)と思われるアゲハチョウをご紹介しましたが (詳しくは→こちら)、今回もそのアゲハチョウの一種で、アフリカオナシアゲハ (Papilio demodocus)といいます。その名前の通り、アゲハチョウに比較的一般的な特徴である、羽の下側にあるスワローテールが見られません。
前回ご紹介したエチオピア・ルリアゲハに比べると地味な感じがしますが、黒地に白のストライプが映えてとても目を引きます。逃げないように、抜き足差し足忍び足でそーっとそーっと近づいて写真を撮っていたら、一緒に歩いていた村の若者が、「何やってんの、ホラ」とひょいとチョウをつかみあげ「ハイ、これで写真撮れるんじゃない?」。
何を言う間も与えない瞬間技は見事ですが、その時点で羽は一部ちぎれ、鱗粉は落ち、チョウはじたばたと暴れ・・・。「ウン、もう撮ったから大丈夫、逃がしてあげてヨ」と、動揺を抑えつつ反応するのが精一杯でした。
考えてみればこうして村の風景や動植物、昆虫などに夢中になってレンズを向けている私たちを、村の人たちは可笑しげに、あるいは何か不思議なものでも見ているような視線で見つめています。「あらあら、また何かあったらしいよ」といった感じでしょうか。
私たちにとっては思わずレンズを向けたくなるようなものでも、彼らにとっては日常だからでしょうか?もちろんそれもあるでしょう。でもたとえば日常のことであっても、美しい夕焼けに時が経つのも忘れて見入ってしまう、といったようなことは、私たちなら誰でも経験したことがあると思います。しかし村人にそういう姿を見たことがありません。美しいキリマンジャロ山に感動している姿とか。いろいろなモノやコトに対する感じ方、感性が違うということでしょうか。
そんな彼らの感性は、もっと人間くさいもの、たまたまバスの隣の席に座った人でも家族のように感じることのできる、緩やかでしかし濃密な、穏やかで奥深い人間関係の中に発揮されているのかも知れません。
と、そんなことを考えていたら、昨年来日されたTEACA副代表のムチャロ氏が、都会の街路樹に何百羽と留まっている椋鳥を見て、「なんだあれは?鳥か?」といってレンズを向けていたのを思い出しました。やっぱり人間同じ・・・かも。