写真の奥に広がっているのが “エデンの森” です!
タンザニア・ポレポレクラブは約20年間、キリマンジャロ山の村人たちと力を合わせて森林回復のための植林に取り組んできました。
20年間というと長いように聞こえるかも知れませんが、村の人たちにかかると「まだまだ子どもだな」と言われてしまいます。彼らは、「もう亡くなってしまったけれどオレたちの爺さんたちはな、ほら、この間山の上の方歩いただろ。あのあたりの木は、みんな爺ちゃんたちが植えたんだよ。そうやってみんなで森を守ってきたんだ。もう50年にはなるなぁ」と言います。
“エデンの森”のシンボルマークはどんなものが良いか、それぞれの村で森の写真を見ながら話し合われ
ました。自分たちが守った自慢の森だけに、どの村でも写真のように熱い熱い議論が展開されました!
キリマンジャロ山の森林保全の歴史を紐解けば、山に暮らす村人たちによる植林の歴史はもっと古いことが分かります。はっきりした記録として残っているのは1940年代からですから、少なくとも80年間は木を植え森を守り続けてきたことが分かります。
村で出会った村人たちに「森を守ったのは誰?」と尋ねれば、男性でも女性でも間違いなく「それはオレたちさ、私たちだよ!」と胸を張って答えます。もちろん彼らは森を使います。煮炊きするには薪がいりますし、飼っている家畜の餌である草も森から採ってきます。自分たちを生かしてくれている森だからこそ、彼らは誰よりもその大切を理解し大事に守ってきました。そうして守ってきた森は村の誰にとっても「自慢」であり「誇り」となっています。
自分たちの森の名前を何にするか、村々で投票が行われました。ビニール
袋が即席の投票箱!名前の案が書かれた袋がズラリと並び壮観でした!
キリマンジャロ山を麓から登っていくと、やがて山中の村々に辿り着きます。その村を突っ切ってさらに登っていくと、やがて森に辿り着きます。ところが本来そこにあるべき森のかなりの部分が、見渡す限り丸裸になっています。そこはかつて政府が商業目的で経営していた森林プランテーションがあった場所です。ところがプランテーションの経営に失敗した政府は、伐採後に再植林せずその場を放置したのです。キリマンジャロ山で破壊されてしまった森林の大部分を、この森林プランテーションの跡地が占めています。
それにも関わらず、キリマンジャロ山では森を利用する村人たちが森林の破壊者とされ、森から追い出されてしまいました。そして国立公園を広げて人と自然を分離するという政策を、タンザニア政府だけでなく世界も後押ししました。世界遺産の自然を守るためというのがその理由です。森をもっとも守ってきた人々を追い出すことが自然を守ること、そんな理不尽な政策が銃や暴力まで使われて実行されています。私たちは森を囲む40の村々、10万人を超える村人たちと力を合わせて、この理不尽な状況を一刻も早く解決していきたいと思っています。
“エデンの森”のシンボルマークもそれぞれの村にいくつかある教会ごとに投票が行われて決められました。写真は発表された投票結果を見に集まってきた村人たち。