事務局日誌: "Kwenye nia,kuna njia"(意志あるところ、道は拓ける)

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新年明けましておめでとうございます

 

今年もまた、新たな年を迎えました。静かだった東京にも、いつもの慌ただしい日常が戻ってきました。ただ、この「いつもの日常」という言葉に違和感を覚えてしまうのは、きっと私だけではないでしょう。そして多くの日本のみなさんが、この新しい年を「いつもの新しい年」とは異なる思いで迎えられたのではないかと思います。

昨年の大震災と原発事故は、私たち一人一人の心を片時も離れることがありません。しかし一方で、早くも「収束」の言葉が聞こえてきます。野田総理は「日本再生の最初の年」だと言われます。一日も早い被災地の復興、そして日本の再生を望まない、願わない者はいないでしょう。

ただ、今年は「日本再生の最初の年」であると同時に、日本という国に生きる私たちすべてが、今後数十年あるいはそれ以上にわたって、「放射能と共に生きる覚悟を新たにしなければならない最初の年」でもあります。その年月の長さ、瑞穂国といわれる美しい国土と子々孫々にまで与え続けるであろうその影響の重さを考えると、「収束」という言葉の虚しさばかりが募ります。

・・・

「新年の抱負」などとよく尋ねられます。「毎年毎年新たな抱負をたてるのも結構大変かも・・・」、あるいは「何をいまさら」などと思ってしまう時もあります。それでも何かの機会を捉えて、気持ちを新たにすることは、やはり大事なことだと思えます。それはこれまで通り、地道な努力をコツコツと積み重ねていくことかも知れません。あるいは心機一転、何か新しいことにチャレンジすることかも知れません。

しかしここはやはり、これまでの一歩に加えて、何か「新たな一歩」に踏み出したいところです。「復興」や「再生」を願わぬ者はいません。しかしそれらは、たんに「願う」ことでは叶わないことと思えます。いま、「願い」を形に変える一人一人の「行動」が求められているのだと思います。それは何も募金をしたり被災地にボランティアに行くことだけではありません。

一人一人の人が、「問題」と思う何かに対して、その人なりの「行動」をしてみること、そのことが、たとえ遠回りでも復興や再生にも繋がっていくと思えてなりません。

ここで原発の是非を論じるつもりはありませんが、わたしたちの多くが、原発の供給する潤沢な電力の恩恵と、そして何より、それがもたらす「便利さ」と便利な生活を、ある意味空気のように当たり前のこととして、かなり無批判に(無批判の言葉が悪ければ、かなり無関心に)享受してきたことは否定できない事実でしょう。

反原発、反原子力の声は再び高まっています。しかしそのための代償はあまりに大きく、取り返しが付かないものとなってしまいました。原発や放射能汚染に対する責任は、私たち一人一人にとっても例外ではないのだと思います。世界の、日本の、そして自分の身の回りの。どんな対象であっても、小さな「新たな一歩」を踏み出してみる。「思い」や「願い」を形にする「新たな一歩」を。

 

“Kwenye nia,kuna njia” (意志あるところ、道は拓ける)

 

この言葉を胸に、「思い」を「形」にするべく、今年も精一杯頑張ります。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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