森を背景に草を食む牛たち
森を背景に、のんびりと草を食む牛たち。なんとも牧歌的ではあるが、実は看過できない光景なのである。なぜなら、ここがキリマンジャロ山の国立公園内だからだ。従来、森林保護区でありながら、地域住民が生活に必要な糧を得るために必要最低限の利用が認められていたバッファゾーン「ハーフマイル・フォレスト・ストリップ(以下HMFS)」。そのバッファゾーンが、森林保護の名の下に国立公園に飲み込まれたのは2005年のことだ。
しかし私たちは、国立公園とすることでは森は守れないと主張してきた。なぜなら、生活の糧が必要な地域住民たちにとって、その代替措置を講じない限り、森に入るという以外の選択肢は無いからだ。違法であることを承知で森に侵入する住民たちには、もはやそこから先、守るべきルールなどない。国立公園化は、森林破壊を助長するだけだというのが私たちの考えである。
しかし現地で起きている現実はさらに深刻である。この夏、キリマンジャロ山を取り囲むように存在していたかつてのHMFSに沿って、村々を回ってみた。
写真は、これまで熱心に植林に取り組んでいた、とある村で撮影したものだ。自分たちこそ森を守ってきたという自負を持っている村人たちは、一方的に森を取り上げた政府の措置に怒り、これまで植林して大きくなった木は「自分たちの財産だ」として、次々と切り始めたのだ。そしてまだ森林が再生せずに小さな苗木が植わっていた場所には、牛を放し始めた。彼らが苦労して植えた苗木は、ほとんど牛たちに食べられてしまった。それがこの「牧歌的な」写真の背後にある現実である。
もちろんこのような住民たちの反応は、彼ら自身をさらに追い詰めることになるだろう。このような事態は、森を守ろうとする政府にも、そこに暮らす地域住民たちにも、そして守ろうとする森自体にも、得るものが何もないばかりか、不幸な結果を生み出すばかりである。
政府は、自分自身には成し得なかった、地域住民による森林保全への努力という事実を認め、言葉だけで葬り去られた「住民参加」を態度として示していく必要があるだろう。地域住民の力なしに、森を守ることは出来ない。その認識こそ、キリマンジャロ山の森を守る第一歩といえる。
地域住民たちは、これまでの点としての個々の努力を、キリマンジャロ山全体の森林管理にまで目を向け、統一的なムーブメントとして起こしていく必要がある。政府を交渉のテーブルにつけ、説得できるだけの礎を築かなければならない。
私たちは政府(=州、県政府)と地域(=村々)の双方に、その認識を求め、また連携し行動に移していくための下地作りに取り組んでいる。この8月には、これまで森林保全に取り組んできた村々のリーダーと政府関係者を一堂に集め、地域主導の森林管理の実現に向けた第2回目となる会議を開催した。第1回目は19名、今回は29名が参加した。
国立公園を外すという大きな課題がまだ残っているが、地域が声をあげまとまっていくというさざ波は、いま、少しずつ大きなうねりへと変わろうとしている。