事務局日誌: 物価高騰から見えてくるタンザニア

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7月末からタンザニアでの現地調査に入っています。日本では暑い日々が続いているようですが、 南半球にあるタンザニアは季節が逆。インド洋岸にある経済首都ダルエスサラームでも、日中は 30度を越えますが湿度が東京ほどではないため、案外過しやすいです。今はキリマンジャロ山の 麓の町、モシに来ていますが、夜は毛布が必要です。さらに村に入ると、昼間でも吐く息が真っ 白!暖房が無いのでみんなで白い息を吐きながら打ち合わせをしていますが、寒さに震えつつも、 この滑稽な風景がちょっと可笑しいです。

さて、タンザニア入り前から予想はしていたものの、 こちらでの物価高騰の激しさには相当なものがあります。石油の純輸入国であるタンザニアでは、 ガソリン1リットルの値段は日本円換算で167円、これがディーゼルになると日本より高い185円! 庶民の足であるダラダラ(タンザニアの乗り合いバス)は、昨年の同時期に150~250シリングだっ たものが、現在250~300シリング、米1kgは550~700シリングが最高で1,200シリング、肉1kg は2,000シリングが3,000シリングといった具合です。

切り詰めているとはいえ、貯蓄もあり、 旅行など余暇のために使えるお金がある日本と違い、こちらでは収入のほとんどが食費など、自分 たちの生活維持のために使われます。物価高騰はこうした庶民の生活をまさに直撃しているといえ ます。「何でもかんでも高くなっちゃって、もうムチャクチャだよ」と村の人たちは嘆いていますが、 学費を払えなくて進学できない子ども、病気になっても医者にかかれない人たちなど、間違いなく 増えるはずです。生命維持に直結しない学費などは真っ先に削られるはずで、勉学に対する熱意を 持っている多くの子どもたちが、教育機会を奪われてしまうことに胸が痛みます。

一方、ダルエスサラームなどでは、増加する一方の車の数や、それ以上に、日本と見紛うばかりの高級車ばかり が走っているのに本当に驚きます。4駆車が多いので、ダラダラを見ないことにすれば、日本より 高級車が溢れているとさえ思えます。子どもたちを進学させることも出来ず、医者に行くことさえ 諦めなければならない村の人々と、都市部で高級車を乗り回す成功者とを見ていると、タンザニア で広がりゆく国内経済格差を、まざまざと見る思いがします。

ところがこうした状況とは裏腹に、タンザニアでは他の国で見られるような政府対国民、あるい は国民同士の対立や緊張感といったものが感じられません。対立をことさらに先鋭化させることを 嫌う、タンザニアの人々の国民性もあるでしょう。しかし広がる傾向にある経済格差の一方で、他 国に見られるような歴史的に仕組まれた(構造化された)社会格差が、タンザニアにはあまり存在 しないことが、大きく影響していると思えます。

国政における民族や宗教に対する目配り(=権力構造)、土地制度、たとえば村の土 地法などにしても、ジェンダーへの配慮など、こちらが驚いてしまうよな実に細かい配慮が見られ ます(=資源の所有、アクセス、配分に関わる構造)。社会の中に構造的に作られた不公正、不正 義は、人々の中に目に見えない形で蓄積され、社会に対する負のエネルギーとしてふつふつと存在 することになります。そしてそれが何かをきっかけに、火がつく危険を常にはらんでいます。

これほどまでに物価が高騰していながら、タンザニアでは他の国で見られるような社会暴動や対立 の先鋭化などが見られないこと、いつもと変わらぬ穏やかさが保たれている背景には、構造的な社 会正義、公正さが意識的に築かれ、守られてきたからだと思えます。もちろん、政府官僚の汚職や 金銭腐敗など、不公正、不正義が存在しないわけではありませんが、国家という大枠の中で、こう した構造的な社会正義、公正さがタンザニアという国を守り、ひいては国民を守っているのだと感 じます。そしてそれはタンザニアの人々の国民性にまで深く根を下ろし、この国の「国風」を底で 支えています。

これらは、この国を導いた先人たる指導者がなしたことであり、大袈裟に聞こえ るかも知れませんが、国家百年の計を見通すとは、まさにこういうことかと思わずにはいられません。

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