その他
こうして当初は難を逃れて山に入ってきたチャガの人々であるが、やがて植民地時代に導入されたコーヒーという産業を手にし、急激に人口を増やしていった。
しかしいまや彼らの土地相続制度と相まって、子供に分け与えられる土地すらなくなり、近年では新たな土地を求めて山を降りるという、逆流現象が起きている。彼らの一部が目指したのが、キリマンジャロ山の隣、70kmほど離れた所にある、自然環境条件の似通ったメルー山である。そこにはもともと放牧を営むメルー人が住んでいたが、彼らとの混血が進む中で、またコーヒーも栽培されるようになっていった。
キリマンジャロ州での人口増加率は、こうした状況を反映して、タンザニアの全体平均を大きく下回る1.6%である。一方のアルーシャ州は、それがキリマンジャロ州からの人口流入によるものなのか不明であるが、4.0%と非常に高い数字を示している。
キリマンジャロ山では、これまでチャガの人々の生活を支えてきたコーヒー価格の、暴落にも近い世界的な低迷によって、土地に加えて収入源すらなくなり、若い世代が山を出るという流れは決定的となっている。「村は老人と女のいる所」、若者からはそんな風に諦めともとれる揶揄の言葉が漏れる。
キリマンジャロの村々も、日本の山村と同じように、やがて過疎化の道を歩むのであろうか?日本とは異なる激しい人口増加の下で、経済のしっかりとした足取りと、何にも増して職の確保が図れなければ、スラム化を加速させ、社会不安が増大するだけだろう。