先日「みんなの広場」で、昨今タンザニアで職務を放ったらかして個人的商売に精を出す教師が増えていることをご報告したが、そうした状況は何も教師に限ったことではない。いや、中にはもっとタチの悪いものもある。それは職務を放ったらかすどころか、自分の職務を利用して、つまり職権を笠に着て小遣い稼ぎに励むというものだ。
何となくピンとくるとは思うが、それはご当地の警察官のことである。今回の現地調査中も、しっかり彼らの小遣い稼ぎに協力させられたのであった。
タンザニアでは年に1回(だと思う)、“交通安全ステッカー”なるものが出回る。車という車は、そのステッカーをフロントガラスに貼らなければならない。別に交通安全ステッカーくらいなら日本でも珍しいものでもなかろうが、問題はそのやり方である。そもそもこの手のステッカーは、ドライバーへの注意喚起や他の車輌への啓発効果を狙って、警察が協力をお願いして無料で配布するものであろう。
ところが、現地ではそうはいかない。道を走っていると、路肩に立っている警察官にやおら車を止めさせられ、「おまえ、まだステッカーを貼ってないな」と、まるで何か悪いことでもしているかのように指でフロントガラスをコツコツ叩かれ、ステッカーを「買わされる」のである。
協力をお願いするなんて姿勢はカケラもない。問答無用、拒否権無しである。まあ政府にお金があるわけでもなく、給料を確保するためには自ら財源の確保のために 「努力」 しなければならない、という事情も分からなくもない。
しかし、である。こんな安易なやり方で次から次にお金を巻き上げられるなら、これほどボロイ商売もないだろう。営業努力も不況も関係無し。努力というにはあまりに安直で工夫がなさ過ぎる。某国の政治家のパーティー券を彷彿とさせたりもする。しかもこちらはお金を巻き上げる先が、同じく日々の生活に困窮している市民ときたものだから、なおさらタチが悪い。
広く公平に税金を集める徴税システムの不在が、現地の端々でこうした歪んだ財源確保の構造を産んでいるともいえる。
しかしさらに許せないのは、警察官によってその“額”が異なることである。背に腹はかえられないという切羽詰まった財政事情や治安維持のことを思えば、泣く泣く身銭を切る気もおこるが、警察官によってステッカーの“言い値”が異なるとなったら、これはもう完全に小遣い稼ぎ、アルバイトである。もちろん領収書なんてものはない。
現地では強盗に入ったのが実は警察官だったなんてこともあるくらいだから、身に危害が及ばなかっただけでも、これは“ラッキー”なのであると、こちらもまた歪んだ解釈をするようにしている次第である。