森を大切に思い地道に守ってきた村人たちの、そうした気持ちと行動を息長く側面から支えていくことを目的に取り組んでいる当会のRafikiプロジェクト。今夏の現地渡航では、村人たちにとっての「森の自慢、大切なもの」に関するアンケート調査をしてきました。
アンケートでは森にある自慢、大切なものを「場所」、「人」、「動物・昆虫」、「植物」、「伝統・文化」、「知恵」、「民族」、「その他」の8つのカテゴリーに分けて調べましたが、そのうち「場所」に関わる回答の結果が出ました。その中にはこれまで知らなかったような森に関する興味深い内容も含まれており、ここではその一つをご紹介したいと思います。
●Muo伝統水路
「かつてムボコム地域の指導者であったキポコ・フォヤが同地を追われた際、モシ地域のマンギ(首長)であったリンディに受け入れられ、建設した水路」
これだけでは何だか分からないと思いますが、ムボコム地域とは、私たちの活動の主力地であるキリマンジャロ山麓の標高約1,700mにあるテマ村を含む一帯で、キポコ・フォヤ氏は、そこで水路建設の高い知識を持っていた技術者として知られていました。しかしその彼がどういうわけかムボコム地域を追い出され(村人たちは「自己中心的な人物だったから」と言っています)、当時隣接するモシ地域で権勢をふるっていたマンギ・リンディに見いだされ、モシ地域の山麓にMuo水路を建設した、というものです。
マンギ・リンディという今から100年以上前に強大な権力をふるっていた歴史上の人物が登場するのも面白く、当然キポコ氏の持っていた高い水路建設技術を買って受け入れ、さらなる権力基盤整備のためにさっそく建設を命じたのでしょう。
そのMuo水路は、キリマンジャロ山に網の目のように張り巡らされている伝統水路の中でも極めつけの長さと複雑さを持ったもので、当会でも調査を行いましたが、よくもまああんな奥地から水を引いてきたものと感嘆してしまいます(森の中にある部分のみで約8kmあります)。
さらにこのMuo水路、もともとはムボコム地域に水を流していた水源を切り替えて引っ張ってきたのですから、追い出されたキポコ氏は恨みを晴らしたり、といったところなのでしょうか。水源を切り替えられたムボコム地域の人たちが困ったことになったのは、言うまでもありません。その結果ムボコム地域の人たちは、もう一つキセレチャ水路という、これもまた目を見張るような高度な技術を用いた伝統水路を作り上げたというオマケまでこのストーリーにはついてきます。
今ではこの両方の水路とも放棄され歴史の影に埋もれようとしていますが、村のお年寄りたちは、自分たちの生活を長く支えてきたこの云われある伝統水路を、森にある自分たちの大切なものとして、後世に残したいと考えているようです。
写真:Muo水路はこんな大岩も切り砕いて建設されています