2012年 植林活動の履歴


 ●2012年分 12月国立公園内植林事業地、順調に推移
           10月キリマンジャロ山で発生する土砂崩れ
           9月 キリマンジャロ山の東・南山麓をカバーする
              植林実施体制の確立に向けて
           6月 キリマンジャロ国立公園内における地域主導植林(第2次実施
           3月 キリマンジャロ山を巡る「人」と「環境」の相克
           1月 新苗畑を立ち上げ





■国立公園内植林事業地、順調に推移('12/12) ■


 今年第2次となる地域主導による大規模植林を実施した、キリマンジャロ国立公園内の旧ハーフマイル・フォレスト・ストリップ(※)の植林地(北キレマ郡ルワ村)に植えられた苗木が順調に生育している。(写真1)

 植えられている樹種は、Grevillea robusta(ヤマモガシ科)を筆頭に、Albizia Schimperiana(マメ科)、Cedrela Odorata(センダン科)、Croton megalocapus(トウダイグサ科)、Ficus Thonningii(クワ科)、Macaranga Kilimandscharica(トウダイグサ科)、Markhamia lutea(ノウゼンカズラ科)、Ocotea Usambarensis(クスノキ科)、Pinus Patula(マツ科)の9樹種、約1万7千本である。活着率も現在まで9割程度を保持している。

 また地域住民の努力にる植林の実態とその成果を知るため、このルワ村の植林地を、レオニダス・ガマ キリマンジャロ州知事が訪れた(写真2)。知事は、地域による森林保全に向けた努力が予想以上のものであったことを認め、今後キリマンジャロ山における森林保全の重要なアクターとなることを期待し、位置づけようとしている。

 当会としては、州知事のこのような認識を評価しつつも、地域が行政の安易な手足との地位に位置づけられてしまわないよう、カウンターパートのTEACA(Tanzania Environmental Action Association)とともに、行政(=州)への提言を行っていくつもりである。



※ハーフマイル・フォレスト・ストリップ(Half mile Forest Strip): 地域住民が生活の維持に最低限必要となる森林資源の利用が認められていた森林エリア。もともと森林保護区内にあったが、2005年から拡張した国立公園に取り込まれ、その後の地域住民の利用については曖昧な位置づけのままとなっている。




 写真1: ルワ村に隣接する国立公園内の植林地で育つGrevillea robusta



 写真2: 植林地で地域による努力に感謝の意を表明するレオニダス・ガマ キリマンジャロ州知事



 写真3: 州知事にこの植林がルワ村とTEACAの協力により実施されたことを説明しているところ



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■キリマンジャロ山で発生する土砂崩れ('12/10) ■


 キリマンジャロ山の森林破壊の一要因として土砂崩れがある。当会の主力活動地であるキリマンジャロ山のテマ村一帯は地形が険しく、もともと土砂崩れが発生しやすい。そこに森林減少が加わり、数年に一度はどこかで土砂崩れが発生するという状況になっている。10年ほど前にはカウンターパートであるTEACAのスタッフ、モシ氏の家の上で斜面が崩落し、家、畑、家畜のすべてが押し流されてしまった。真夜中のことであったが、大雨の中、異常な音に気づいたモシ氏は赤ちゃんを抱きかかえ、奥さんと間一髪で逃げだし、命だけは助かった。

 写真は今夏実施した現地調査のときに起こった小規模な土砂崩れの現場であるが、それでも畑が丸々一つ流されてしまった。私たちはこうした土砂崩れが起きているような斜面でも、その防止を目的として植林を実施している。しかし、もともと急傾斜であるため表土が薄いところにきて、森林を失った土壌は痩せており、植林樹種が限られてくるうえ活着率も悪くなる。さらに土砂崩れが起きてしまうと、場所によっては下の岩盤が露出してしまい、植林自体が困難になる。

 またせっかく活着した木も、岩盤のため或いはその岩の種類によっては、生育が阻害され枯れてしまうケースがままある。そうした場所にはもうイネ科の雑草しか生えてこない。

 土砂崩れの頻度を考えれば、まとまった面積を一気に植林してしまうのが良さそうだが、なかなか活着してくれない、或いは育っても枯れてしまうという現実の中で、私たちは少ない面積でも丹念にフォローし、確実に根付かせていくという方法をとっている。遠回りのようではあるが、植林に取り組む村人たちの気持ちを萎えさせることなく、成果を結果として示していくことが、結局は森林の再生に繋がる近道であると考えているからだ。






 写真1: 土砂崩れを起こしたキリマンジャロ山の斜面(オールドモシ地区)



 写真2: オールドモシ地区の森林を失った尾根




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   ■キリマンジャロ山の東・南山麓をカバーする
    植林実施体制の確立に向けて ('12/09) ■



 当会はカウンターパートのTEACA(Tanzania Environmental Action Association)とともに、キリマンジャロ山において地域が森林保全・管理の主体となれるよう、そのフレームワーク構築と持続性確保のための運用面での仕組みづくりに取り組んでいる。具体的には、森林に沿って存在する村々が統一的戦略のもと、共同歩調をとって同山の森林保全・管理に取り組んでいけるよう、そのコンセンサス形成を推し進め、また村々の上位に位置する地域横断的な連合体を組織すること、さらに各村において、決定された戦略に基づいて、新たな森林管理規則を定めることである。

 これまで地域や村といったレベルは、全体としての統一性の欠如と実行面での不安定さ、不確実さのゆえに、その潜在的可能性と各個における努力にもかかわらず、森林管理を担う主体として、とくに行政サイドから顧みられることは殆どなかった。また各地域や村においても、森林を全体として見るという視点や意識を持つことは、難しかったと言って良いであろう。他方において、キリマンジャロ山の森林は、とくに同山が世界自然遺産として指定されて以来、ますます全体としての「効果的」管理が求められるようになっている。

 先にも触れたように、当会では森林保全・管理のためのあらたなフレームワーク構築と仕組みづくりに取り組んでいるが、それと同時並行して、実行面においてキリマンジャロ山における広域的な植林活動をカバーしていくための拠点苗畑の新規立ち上げを進めている。以下の写真は、そうして立ち上げが進められている各地域の苗畑の一部である。立ち上げ初期は育苗能力にも限界があるため、植林にあたってはTEACAの苗畑からも苗木供給を行うが、これらの苗畑の立ち上げにより、キリマンジャロ山の東および南山麓における植林の実施体制が築かれつつある。

 地域連合の体制整備は、こうした各地域における取り組みに一体性をもたせ、行政サイドに、森林管理における地域の主体的役割の重要性を強く認識させていくことになるであろう。






 写真1: キリマンジャロ山の東山麓にあるLole小学校に立ち上げた苗畑



 写真2: 同南山麓にあるモヲ村に立ち上げた苗畑



 写真3: 同東南山麓にあるMaua Seminaryに立ち上げた苗畑



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■キリマンジャロ国立公園での第2次地域主導植林実施('12/06)■


国立公園に取り込まれてしまった、かつて住民利用が許されていたキリマンジャロ山の緩衝帯の森"ハーフマイル・フォレスト・ストリップ"(以下、HMFSと表記)。そこに広がる裸地での、地域住民主導による第2回目となる大規模植林が、昨年度に引き続き、この大雨期に実施された。

このHMFS植林には、大きく2つの目的がある。一つ目は、HMFSにおける地域主導による植林という「事実」自体を積み上げていくこと。これは、同エリアでの植林を、タンザニアの森林を管轄する中央省である天然資源観光省が許可したにもかかわらず、これに抵抗するKINAPA(キリマンジャロ国立公園公社)に対して、それが動かせぬ事実として示していくことである。

二つ目は、この植林の実績を広く内外に示し、地域による森林保全・管理能力の高さを実証、認識させていくことである。もちろん、第2回目となる今回は、HMFSにおける地域主導植林の定着という狙いもある。

今回植林が実施されたのは、昨年も実施したキリマンジャロ山南山麓にあるルワ村および同東山麓にあるロレ・マレラ村、さらに新たに東南山麓にあるムシリ村の上部に広がるHMFSが加わった。もっともムシリ村における植林は、州が中心となった植林キャンペーンの一環で取り組まれたものだが、その準備手配やさらに苗木は全数をTEACAが供給した。植林において行政は旗を振ることは出来ても、その実行面ではほとんど何もすることが出来ないことを、同村での植林は如実に示したと言って良いだろう。
ルワ村、ロレ・マレラ村での植林実績データはまだあがってきていないが、ムシリ村で取り組まれた植林には3つの村から350人の村人が参加し、また州知事、キリマンジャロ州下のすべての県知事と主立った行政執行官、さらにKINAPAも参加した。植林樹種は8樹種(うち6樹種が原産種)、計2,600本が植林された。

今大雨期の植林総数は、全部で1万2千本に達する見込みである。今後もこうしたHMFSでの植林を着実に実施し、先に触れた2つの目標を確実に実現させていくつもりである。





 写真1: ムシリ村の上部に広がる裸地化したHMFS


 写真2: 植林地に向かう村人たち


 写真3: 植林に集まった村人たち


 写真4: 苗木を植えるキリマンジャロ州知事(写真中央白シャツの人)




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■ キリマンジャロ山を巡る「人」と「環境」の相克 ('12/03) ■



キリマンジャロ山といえば、アフリカの最高峰、そしてほぼ赤道直下にありながら、山頂に万年の氷雪を抱く山として、つとに知られています。さらに世界遺産にも登録され、最近では事実はまだ定かではないものの、地球温暖化の影響ともいわれる山頂氷河の急激な減少が、なおのことこの山の存在を世界に知らしめています。

しかしこの山が人類の宝として、その素晴らしい景観や登山の対象として注目されることはあっても、あるいは地球温暖化の象徴として先進国の人々の耳目を集めることはあっても、いまこの山で起こっている「森」(自然・環境)とそこに生きる「人々」との間の相克について、知る人はほとんどいないといって良いでしょう。

もっともここでは分かり易くするために"相克"という表現を用いましたが、その実相は、この言葉が想起させる二項対立のイメージほど単純ではありません。

私たちタンザニア・ポレポレクラブは、1994年からキリマンジャロ山の東南山麓、標高約1,700mにあるテマ村で、ローカルNGO"TEACA"(Tanzania Environmental Action Association)や地域の村人たちと力を合わせながら、森林回復のための植林に取り組んでいます。地域の人々は私たちが現地に入る以前、1989年からすでに植林に立ち上がっていました。彼らが植林の必要性を感じたのは、昔の記憶に比べて不安定化し減り続ける雨量と、それに伴う水源の枯渇や水不足、作物の生産性低下などの原因が、自分たちが森の木を消費(主に薪として)し続け、森林の劣化を招いてしまったからではないかと考えたためです。そこで彼らは、小学校の片隅に苗木を育てるための小さな苗畑を立ち上げると、自分たちが日々利用している森の中に開けてしまった裸地に、1本1本木を植え始めました。以来20年以上にわたって、彼らは森での植林に取り組み続けています。当初は千本にも満たない数だった苗木は、最大時には年間12万本を超えるまでになりました(植林、配付、販売用苗木の合計数)。

さて、ここで出てくる「自分たちが日々利用している森」ですが、実はそこは完全な原生の森ではありません。この森は"Half Mile Forest Strip "(以下HMFS)と呼ばれ、キリマンジャロ山の森林保護区(1921年設定)の内側にありながら、地域住民が日々生活に欠かすことの出来ない、必要最低限の生活資源(薪や家畜のための草など)を採集して良い場所として、1941年に設けられたバッファゾーン(緩衝帯)の森です。キリマンジャロ山ではその後1973年に、森林保護区より標高の高い部分が国立公園とされ、さらに1989年に山自体が世界遺産として登録されました。

このようにキリマンジャロ山の(自然)管理体制は、世界遺産として保護の網がかけられると同時に、標高の高い順から国立公園→森林保護区→森林保護区の一部としてのHMFS→その下、山麓最下層に広がる村落圏という、4層構造のもとに行われる形が確立されました。

もともと森林保護区内にHMFSというバッファゾーンが設けられることになった経緯は、1921年に設定された森林保護区が、人々の森林へのアクセスを禁じたことによります。当時も今もキリマンジャロ山麓に暮らしているのはチャガと呼ばれる人々ですが、彼らは政府(植民地政府)に対して、森林保護区として人々を森から締め出しては、そこで暮らしている者の生活が成り立たたなくなること、地域住民が日々の必要資源を採集することが許される、然るべきエリアが必要であるとの要請したことによります。また明確なエリアを設定し、そこを適切に管理、運営していくことで、それ以外の森は手をつけらずに守られるようになります。それ故の"バッファ"ゾーン(緩衝帯)であり、またそれが設けられた1941年当時、そこがHMFSではなく、"Chagga Local Authority Strip"と命名されたのも、以上の経緯から、その管理権限がチャガ民族の代表機関(当時)であったチャガ評議会に付与された故です。

チャガ評議会の下、Chagga Local Authority Stripの森は、地域住民たちの手によって極めて厳格に管理され、守られていたことが知られています。タンザニアが独立し、民族(部族)主義排除の理念のもと、チャガ評議会が解散させられた1961年までの間、彼らによってこのエリアに植林された面積は450haにのぼります。そして独立後の1962年から名称が現在のHMFSに変更され、1971年までは県が管轄、1972年〜1986年まで今度は州が管轄、そして1987年から再び県の管轄へと、その管理主体は二転三転入れ替えられます。県が管轄した間の植林面積は、最初それが管轄した1962年〜1971年が116ha、再度管轄した1987年からが129haでした。州が管轄した間の植林面積は不明ですが、県の管轄時も含め、自主財源確保のための商業林経営に重きが置かれたため、植林面積を伐採面積が上回っていたと言われています。とくにタンザニアの森林管理史において、森が州管轄下にあった時期は「いくつかの森林保護区が完全に消滅した」最悪の時期でした。

その後現在に至るまで、キリマンジャロ山の森林は一貫して減少の一途を辿っています。世界遺産でもある同山のこうした状況は、先進国からも注目され、日本も加盟する先進国クラブ・経済開発協力機構(OECD)からも「森を守るために国立公園の範囲を広げ、軍隊並みの監視隊を配置せよ」とのレポートが出されるに至りました。

そして結果として起きたことは、2002年にHMFSを除く森林保護区が国立公園に編入され、次いで2005年に発布された国立公園法補助法によって、HMFSもすべて国立公園に取り込まれてしまいました。そこを管理するキリマンジャロ国立公園公社(KINAPA)は、ショットガンを装備したまさに軍隊のような監視隊を配置し、暴力をもいとわぬ地域住民の完全排除へと乗り出しました。もともとこの国立公園領域拡大の背景にあるのは、人を追い出すことで自然を守るという旧態依然とした要塞型自然保護思想で、キリマンジャロ山で起こっている現実は、暴力を除き、その思想が忠実に実行に移されたことを意味しています。その背後には、先にも触れたように、日本も含む先進国(当然のことながら、タンザニアの重要なドナー国でもある)からの提言があったことを忘れるべきではないでしょう。

もちろんそのことによって、森も守られ地域住民の生活もより豊かになるというのであれば、何も問題はありません。しかし百歩譲って、たとえ住民生活が犠牲になったとしても、人類の宝であるキリマンジャロ山の自然や森林が守られるならば良しと考えたとして、果たしてこの人と自然の完全隔離という方法で、本当にキリマンジャロ山の自然や森は守られるのでしょうか?当会ではそうは考えていません。

キリマンジャロ山の森林管理と森林劣化の歴史を紐解いてみれば、先の事例も含め、それが住民に対する管理強化を積み重ねてきた歴史であり、一方で森林劣化を止められなかった(もしくはより悪化する)歴史の繰り返しであったことが分かります。そして国立公園化は、その従来の「管理強化による自然保護」という失敗の思想と手法から一歩も踏み出さないばかりか、管理強化の「究極の姿」ともいえるものです。

過去の歴史は、たんに管理を強化するだけではキリマンジャロ山の森は守れないことを明確に示していますが、そもそも国立公園化によって、地域住民の日々の薪や家畜の飼料(草)に対する需要が消え去るわけではなく、人々は違法を承知で国立公園に"侵入"する以外に選択枝はありません。人間の排除によって自然保護が成立するという論理は、少なくともキリマンジャロ山では現実を無視した机上の空論に過ぎないといえます。

その一方でやはり歴史を紐解くと、森林が最も良く管理、保全されていたのは、森林破壊者として排除の対象とされた、まさにその地域住民自身の手に森林(HMFS)の管理が任されていた時期、すなわち前出のチャガ評議会が管理していた時期であったことが分かります。管理や規制を強化しても、それを確実に実行、フォローする予算も人員もない政府に対して、地域住民たちは自らの生活が森林に依存しているが故に、その持続可能な利用の重要性をよく理解し、厳格な利用と管理のルールを設け、極めて堅実に守っていきました。

当会では、キリマンジャロ山の森を守り、そして同時に地域住民の生活を守るためには、トップダウンによる一方的な管理強化とその押しつけではなく、かつてのチャガ評議会の時代がそうであったように、地域とその住民たち自身が考える森林の利用・管理の方法を、ボトムアップで再構築していく必要があると考えています。そしてその実現をはかるため、現在以下を課題とした活動に重点的に取り組んでいます。

 1.HMFSからの国立公園指定の解除。
 2.地域住民の考える森林利用・管理の方法と仕組みの再構築
 3."2"の森林条例への反映
 4.地域住民による森林管理への持続的モチベーションの確保


これらの課題のいずれも、その実現は容易ではありません。2012年3月現在での状況は、"1"については、中央政府、州、県の各レベルにおいて、その必要性への理解を深めることができ、国立公園指定解除に向けた一定の成果(中央政府による国立公園内の旧HMFSにおける、地域住民による植林活動の承認、およびHMFSを除く形での新たな国立公園境界の測量完了)はあるものの、国立公園を手放したくないKINAPAの激しい巻き返しに遭っており、今後どうなるか予断を許しません。さらにこの課題を最終的に決着させるためには、国の法律(国立公園法補助法)を改正する必要があり、今後議会対策も必要になってきます。

"2"は、モシ県下のHMFSに沿って存在する村々の協議会の立ち上げが完了し、その中でボトムアップによる森林利用・管理の仕組み作りが必要である、とのコンセンサス形成までたどり着いた段階です。

"3"は、国立公園が現実に解除されるまで手をつけられません。

"4"は、チャガ民族の生活、文化の中で、森林が果たしてきた役割や位置づけを、村人たちと共に見つめ直してみる作業に取り組んでいます。そのプロセスや取り組みによるアウトプット(イラストマップ、村のガイドブック、村のカルタ等)を通して、森に対する再認識や再発見、自分たちに身近な森へのさらなる愛着に繋げていけたら良いと考えています。

人と環境の相克。キリマンジャロ山において、それは決して人と環境の対立という、単純な二項対立の図式なのではありません。その片方にしか目を向けない、偏った視座が「創り出した」図式だといえます。この図式を解き放ち、問題解決へと導く鍵は、まさにその誤った視座を改めることにこそ、その出発点があると考えています。それはこれまで目を向けることのなかった相手を信頼し、排除によってではなく、共に叡智を寄せ合うことを通して、もう片方の相手である森や環境に向き合ってくことだと考えいてます。




キリマンジャロ山での村人たちによる植林の様子


 写真1: 植林前(2010年)


 写真2: 植林中(2011年)


 写真3: 植林後(2012年)




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■新苗畑を立ち上げ('12/01)■



キリマンジャロ山麓では、現地カウンターパートのTEACA及び各地域の苗畑グループ(計5カ所)によって、今年の大雨季植林に向けた育苗が取り組まれている。


今年度はこれに加えて、Faraja女性グループ、Mowo環境グループ、Olimo小学校、Lole小学校、Ruwa中学校の5カ所に新規苗畑を立ち上げた(このほかNatiro中学校環境クラブにも苗木供給を実施)。


新規苗畑といっても、その目的はそれぞれでかなり異なる。たとえばFaraja女性グループは、キリマンジャロ山麓に暮らすチャガ民族が伝統的に薬として使っていた草や木の継承を目的として、これらの草木を中心に育てていく。


Mowo環境グループ、Lole小学校、Ruwa中学校は、TEACAとともに、国立公園に取り込まれてしまったかつてのバッファゾーン(ハーフマイル・フォレスト・ストリップと呼ばれる)における、村人たちによる地域主導植林のための苗木を育てることを主目的としている。


一方Olimo小学校は、国立公園より標高の低い位置にある、住民の居住エリアで植林に取り組むことにしている。


このOlimo小学校は、実は苗木生産拠点として、テマ村での植林活動を長く支えてきた実績のある小学校であった。しかし先代の校長先生があまり環境の保全に関心が無く、この2年間苗畑を閉鎖していた。そこに新たな校長先生が赴任したのに伴い、あらためて学校委員会とも話し合いを行い、苗畑を復活させることが決定されたものだ。従って新設というより、再開という方が正しいだろう。




 写真1:Olimo小学校に対してTEACAが支援した育苗用の道具を手にする生徒たち


 写真2:Olimo小学校で苗畑再開の準備をする生徒たちの様子




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