ミニニュースレター68号抜粋記事
『 Habari gani?』 第68号 より抜粋 (2014/9)

チャガのことわざ紹介B

 1920年代にモシ地方の弁務官を務めたチャールズ・ダンダス氏による著書、『KILIMANJARO AND ITS PEOPLE』に掲載されているチャガ民族のことわざをご紹介する連載の3回目です。


Paara lya mreshe iwe nyi lyekapfa iho makirighawe.
(2つの穴を掘るジャッカルは、その2つの穴の間で死ぬ。)


 ジャッカルは自分の穴にいれば襲われることはなく安全です。中には二重の安全策を取って2つ穴を掘り、狩人から追われた時に片方の穴から別のもう一つの穴へ逃げるものがいます。しかし結果として2つの穴を行き来している間に捕えられてしまうでしょう。
 こちらのことわざは「二兎を追う者は一兎をも得ず」「虻蜂捕らず」と同じ意味合いのことわざにあたるようです。ジャッカルと同じように、自分の国や村の衰退を避けようと別の土地にも居住する者もいます。「虻蜂捕らず」を英語で表すと"Fall between two stools."となりますが、ダンダス氏はまさにこの表現を用いて「2つの物を同時に手にしようとしてはならない。」と述べています。
 こちらのことわざと同じ戒めを込めた別のことわざもあります。
Korambulyia makura ghawi othiwara manya lyimwi-fo.
(もし二羽のイワウズラを追えば、どちらも捕えることができない。)

まさに文字通りの意味です。古今東西問わず、欲を張る・優柔不断というのは、人が向き合わなければならない一番の弱さなのでしょう。



Manya ulaghamba ngikapo pfuma na umbe ya mndu.
('私はほかの誰かが飼っている牡牛で槍を手に入れる'と言ってはならない。)


 ダンダス氏が弁務官を務めていた時代、1本の槍は1頭の牡牛に相当したようです。こちらのことわざは、自分のものではない金によって何かを得ようとすることを自慢するのは愚かである、という訓戒を込めたもののようです。ダンダス氏は「自分の収入力に収まる程度のもので満足すべきである。」と述べています。
 日本でも同じような意味合いのことわざがあります。「人のふんどしで相撲を取る/舅の物で相婿をもてなす/他人の賽銭で鰐口叩く/他人の念仏で極楽詣り/人の家で饗応する/人の牛蒡で法事する/人の太刀で功名する/人の提灯で明かりをとる/人の物で義理をする/貰い物で義理すます」と、かなり沢山あります。今も昔も、どこの文化でも人のものを利用して、ちゃっかり利益を得ようとする不届き者がいかに多いかということの表れではないでしょうか。



Nyi punga yekeghamba ngampha ochia lo chonyi.
(屠殺される牡牛は嘆きながら言う:'私は死ぬ、悲しいかな私の皮')


 屠殺される牡牛は一突きされるだけですが、その後ずっと使われ続ける皮は、なめされるときにあらゆる箇所を釘で打ち付けられ、数えきれない痛みを味わいます。王のような偉大な人物が亡くなった時、彼に従う者たちは王の死の苦しみよりも遥かに苦しむことになります。国を治める者を亡くし、その統治に苦労するからでしょう。一人が負う傷は多くの者の傷でもある、とのことです。

(事務局インターン 宇田)




  〔No.68 その他の内容〕

 ● Rafiki プロジェクトの体験を終えて
   (今夏渡航にボランティアとして参加した立命館アジア太平洋大学の横島さんによる体験記)
 ● 手工芸品プロジェクト かながわ湊フェスタ報告(合同開催:かながわく国際交流まつり)
 ● インターンの「ここが知りたい!」 〜養蜂編 第六回〜
 ● Natiro中学校環境クラブ 保護者参観日での森林保全状況の説明
 ● ポレポレ伝言板


※当サイトに掲載している、記事、写真等の無断転用を禁止します。
Copyright(C)2013 タンザニア・ポレポレクラブ All Rights Reserved.

その他のミニニュースレターへ  このページの先頭へ戻る

トップページへ戻る